先月の頭に奥さんのおばあちゃんが他界した。
関東に住む僕らとは違い、東北の、「温泉以外なにもありません」みたいなところに住んでいたおばあちゃん。
奥さんは温泉好きなのもあって、小さい頃から欠かさずに毎年2回くらい行っていたようで、僕も付き合ってから2度、結婚してから1度会ったことがある。
足腰も丈夫で、ご飯もお酒もたっぷりととる、面倒見が良くって、ヨソ者の僕にも気兼ねなく、いや遠慮無く (?)接してくれて、僕も一発で大好きになったおばあちゃん。
そんなおばあちゃんが、畑仕事中に急逝した。
つい2週間前に子供をつれて会いに行ったばかりの出来事である。
そう、うちの子も、生まれて半年たつまえに、奥さんの両親と1度、僕たち夫婦で連れて行ってもう1度。計2回会っていたのだ。
おばあちゃんにとって初ひ孫で、会ったときには、それはそれは可愛がってくれた。それこそ溺れそうなくらい溺愛してくれていた。
葬儀にかけつけたものの、本当になくなったのか全然実感がわかなくって、布団に横たわっている姿や、棺に入った時、そして火葬を終えてお骨になって、ようやく「もう会えないんだな」って感じる。涙は自然と頬を伝う。なんだか喉も潰れてきている。
うちの娘は、彼女はまだ「さよなら」を知らない。単純にバイバイも出来ないし、「もう会えない」ってこともわからない。
なんなら、おばあちゃんの存在をきっと覚えていられない。
あんなに可愛がってくれたことも、優しい笑顔で見つめられたことも、しわくちゃの温かい手も、方言混じりの言葉遣いも、声も、きっと覚えていられない。
彼女の中におばあちゃんの存在はないだろう。なにも残っていないかもしれない。
彼女はこのさよならを覚えていられない。
だから僕は伝えたい。写真とか思いで語りとか、どれだけ愛されて、どれだけ喜ばれたか。おばあちゃんの存在を僕がゆっくりと縁どっていきたい。
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